福原漁場は番屋(主屋)をはじめ、鰊の干場や各種倉庫など、鰊漁から出荷に至る一連の作業工程がわかる貴重な施設です。
鰊は生食用、みがき鰊(干物)、油、しめ粕、肥料などに加工されて出荷されていました。
広大な敷地に様々な施設が点在していますが、建物の位置は当時のままです。
これでも一つの漁場に過ぎないのですが、そのスケール感から当時の鰊漁の規模をはかり知ることができます。


左:番屋 右:鰊の干場
鰊漁に携わる人たちの食料庫と網などの漁具置き場です。


左:米味噌倉 右:網倉
立派な文書庫があり、書類をはじめ親方一族の衣服・調度品が保管されていました。


文書庫
番屋中央の入口を入ると、やはりここも通路の右が親方の座敷、左が漁夫だまりです。


親方の座敷(手前)と奥の漁夫だまり

左:今では信じられない太さのタモの柱がここでも使われています。
右:親方専用の散髪用の椅子です。明治時代の貧富の差の大きさを感じます。


囲炉裏右側の座布団が親方の席です。
火棚のない上品な囲炉裏で、灰がなく小石敷きで内炉があります。
北海道の囲炉裏は灰を敷かないことが多いです。


魚と大砲という珍しい組み合わせの自在鉤です

座敷の客間の木炭を使う小さな囲炉裏です。

数十名もの漁夫(ヤン衆)が寝泊りしていた、漁夫だまりです。
床板をあげると食卓に早変りします。


漁夫だまりの囲炉裏です。
周囲に小石を敷き、内炉が使われています。
小石に竹串を立てて魚を焼いたようです。小石なら鉄瓶や鍋も置けるので実用的だったのでしょう。
鰊の炭火焼は食べ放題だったのでしょうか?


縄かけ式の自在鉤ですが、鰊御殿の自在鉤は上部の空鉤(そらかぎ)がこのように滑車になっていることがあります。
このような滑車は漁に使う道具として普及しているので、その影響かと思いますが、鰊御殿特有のものです。

ここでも高い天井からまっすぐにおろされた縄で火棚が吊られています。

ここにも竈がありますが、これはかなり新しいもので、展示用に再現されたようです。

大きな石材を切り出した3連コンロです。
今では考えられない珍しい品です。

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