一般的な「番屋」とは漁師が漁の時期に休憩や寝泊りする小屋のことなのですが、
鰊御殿の番屋は「親方、網元、大宅(おおやけ)」といわれる漁場経営者の家族の住居部分と、2〜6月ごろの漁期のみ、「ヤン衆(漁夫)」といわれる東北地方などからの出稼ぎ労働者が暮らす漁夫だまりが一体化した巨大な番屋です。
莫大な利益をもたらした鰊漁は、1つの番屋で今のお金に換算して1漁期のみで20億円ほどの売り上げがあったそうです。
そのため御殿といわれるほどの壮大な建築物が誕生し、「大宅」はその勢力を示すかのように競い合って次々に大きな鰊御殿を誕生させました。
旧川村家番屋(鰊御殿とまり)
泊村は地形的に鰊の最も漁獲高のあった地域で、明治時代には50を超える番屋があった地域です。

建築:1894年(明治27年)
玄関を入ると奥に伸びる通路があり、通路右側に親方の座敷、左側に漁夫だまりがあります。
親方の家族の住居(上座)とヤン衆の漁夫だまり(下座)は明確に分けられており、
この形態は幕府管轄などの特殊な鰊御殿を除いて全て共通です。
囲炉裏も上座・下座に1つづつあります。


親方の住居(通路右側)
畳敷きで茶の間や座敷、女中部屋など多くの部屋があります。
親方の囲炉裏は、漁夫だまり・海・作業場などの監視のしやすい位置にあります。
この上2階にも座敷があります。
また、この棟とは別に客殿や蔵を持つ親方もおられます。


太い柱はタモ、巨大な梁はセンの木で、鰊御殿の多くでタモやセンの大材が使われています。

上座の囲炉裏では贅沢に木炭を使用し、火棚がなく天井張りがあります。
魚を焼くなど調理はしていない様子です。
鰊御殿をはじめ、北海道の囲炉裏には内炉(この写真では円形)が使われています。

漁夫だまり(通路左側)
30名以上の漁夫(ヤン衆)が板の間の一部屋に寝泊りします。一部に寝るだけの2階があります。

漁夫の肩書きです。
会社組織のように大船頭を頭に、その地位がはっきり示されています。

漁夫だまりの囲炉裏です。
大船頭以下、座る位置が決められていたと思います。 ※何故か鰊御殿には人形が多い(-_-;)

各鰊御殿共通で漁夫だまりの囲炉裏には必ず火棚があり、全てこのような格子状の火棚で、熱や煙を拡散させる働きがありません。
上階になにもなく、萱も使用していないため、熱や煙の拡散は重要でなかったのでしょう。もっぱら乾燥棚として使用されています。
梁までの距離があるためか、縄はまっすぐに下ろされているのも鰊御殿の特色です。


囲炉裏上部は立体格子です。
今では入手できないタモの大材が使われています。


これでもか!というほどのタモの大材です。

鰊御殿には竈(かまど)があります。
竈は夏季に囲炉裏を嫌う、西日本など比較的温暖な地域で発達し、明治時代に竈があったのは、北国では珍しいことだと思います。
ヤン衆の食事をまかなうため、囲炉裏の調理では追いつかず、竈が発達したのでは?と推測します。
右側の土間は「餅つき場」です。当時としては贅沢な餅を振舞う習慣があったようです。
漁夫の指揮を高めるため、食べ物は重要だったと思います。

多くの「火具」も残されています。右はコタツです。


ちょっと珍しい手提げのできる火鉢です。

たぶんカボチャ?でしょうか、炭取りです。

石炭の普及により、石炭ストーブが急速に普及し、鰊御殿でも大活躍したようです。
座敷に置くための敷板が美しいタイル細工で作られています。
北海道では囲炉裏をふさいで石炭ストーブを置くことが多いです。
右側は調理用の燃焼器具のようです。



石炭ストーブの石炭入れ
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