南部曲り家はその名の通り、L字に曲がった形の農家です。
17、18世紀〜昭和初期まで新築の続いた非常に合理的な家屋で、現在も岩手県遠野市には70軒ほどの曲り家があります。
南部とはこのあたりの地域を指す名称です。
農家にとって「馬」はかかせない労働力であり、その馬をたえず気遣いながら、寒さから馬を守る。しかも、「人」の居住空間と「馬」を離す。
これらの条件を曲り家なら満たすことができたのです。もちろん、曲り家以外の農家も多くありますが、合理的な曲り家が普及し続けたのです。
■岩手県 遠野ふるさと村 肝煎りの家
曲り家の仕組み
←左に「馬」 →右に「人」 と分離されています。
中央部の囲炉裏部屋は常に人のいる場で「常居:じょうい」と言われます。
また、土間や台所も中央部にあります。
馬はとても大切にされています。
分離した馬小屋と違い、人と同じ屋根の下で暮らします。
厩(うまや)馬屋(まや)と言います。
囲炉裏からはこのように馬の様子を見ることができます。
馬釜(うまがま) 遠野ふるさと村
中央部の土間には「馬釜」が設けられ、囲炉裏と同様に煙で茅葺の屋根を燻し、
熱気が馬の上部を通って排出されるので馬も暖かく過ごすことができます。
この釜で馬に暖かい食べ物を与えるため餌を煮たり、豆腐や味噌の豆や山菜を煮たり、また、蚕のまゆや麻なども煮たようです。
ちなみに曲り家ではご飯を炊くための竈(かまど)を見かけません。
近年に作られたものは見ましたが、東北など寒い地域では囲炉裏で煮炊きするのが主流で、
竈は囲炉裏の火をあまり必要としない、西日本など比較的温暖な地域で普及したものです。
■岩手県 遠野ふるさと村 大工どん
曲り家中央部にある典型的な「腰掛タイプ」の主囲炉裏です。
囲炉裏底の四方に足をのせる踏板が設けられています。
とにかく足元から暖めたい!という思いから普及した寒冷地らしい囲炉裏です。
シモヤケがあたりまえの昔には、足先を暖めることがかかせなかったと思います。
今流行りの囲炉裏テーブルなんて、役に立たなかったでしょうね。
主囲炉裏はだいたい8〜10人ほどが腰掛けられる大きさです。
■岩手県 遠野ふるさと村 大野どん
「芝」を満載した馬車が印象的です。
曲り家の囲炉裏は中央部の主囲炉裏と別に、小さな囲炉裏が1〜3つほどあります。
■岩手県遠野市 千葉家の曲り家
200年ほど前に建てられた最大級の曲り家です。
作男の15人を含む25人もの家族と馬20頭が一つ屋根の下で暮らしていました。
←左が馬屋 →右が居住空間
中央部に土間と主囲炉裏があります。
これは馬屋前の囲炉裏で、馬釜の役目を兼ねたものと思われます。
主囲炉裏は台所にあります。
千葉家は現在も生活されていますので、居住空間は見学できず、台所や奥座敷の3つの囲炉裏は撮影できません。
これだけの家屋を守っていくのは大変でしょうね。
■岩手県みちのく民族村 旧菅原家住宅
土間に接する腰掛タイプの囲炉裏です。
■岩手県遠野ふるさと村 弥十郎どん
食器などを置く台付きの囲炉裏です。
座敷の主な部屋には小さな囲炉裏が設けられています。
左:■岩手県みちのく民族村 旧佐々木家住宅 右:■岩手県みちのく民族村 旧星川家住宅
踏ん込み炉(ふんごみろ)
農作業の途中でも土足で火にあたることのできる、
便利な踏ん込み炉といわれる東北地方特有の囲炉裏です。
これも寒冷地ならではの工夫です。
■岩手県みちのく民族村 旧菅野家住宅
土間に設置された腰掛タイプの囲炉裏です。
これも踏ん込み炉と同様に使われたと思います。
東北地方特有の木製の自在鉤が吊られています。
火棚は一般的な格子状の木枠に、すだれ状の細い竹などをのせたものです。
現在は薪を使わないので、細い竹は取り除かれ、
装飾的な火棚になっていることが多いです。
煙を出さないので火棚も自在鉤もヤニ汚れがありません。
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