調 理
昔の質素な食事ですから、囲炉裏での煮炊きと焼き物、茶釜での湯沸しで、ほとんどの場合、ことが足りたと思います。前述の白川郷の家では、稗(ひえ)の実に稗糠(ひえぬか)を混ぜた糠飯に、味噌汁と漬物をそえたものが主な食事で、老人・子供・家長のみ米を混ぜて食べたようです。味噌も漬物も自家製です。


食事の内容から考えると、囲炉裏の鍋が1つか2つと湯沸しの茶釜あれば十分だったのではと思います。
このような竈の普及は、囲炉裏の歴史と比べると随分短いようです。


左:江戸初期の竈 大阪府能勢の古民家の竈
右:昭和になって作られた竈 飛騨高山「松本家住宅」
白川郷では昭和30〜40年代になってから竈が普及したとのことです。
土間に手作りの竈を作り、流し台を設けることが近代化の証だったそうです。
これは「てっき(わたし)」と呼ばれる道具で、主に団子や餅をのせて焼くためのものです。

囲炉裏上部の火棚に吊るされた「弁慶」や「つま」といわれるものに焼き魚を刺して燻煙します。
海魚の入手困難な山岳地方では、川魚を焼いて燻煙し、蕎麦、水団などの出汁をとったのです。

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